I Am

What I feel happy is a perfect product

ユニセフによるまとめ。誕生から現在に至るまでのアフガニスタン

1,アフガニスタンの起源とその背景

アフガンの人の国という意味を持つアフガニスタンは、日本では紛争の絶えない危険な地域といったいイメージを抱かれることが多いです。

中央アジアに位置しており、古くから交易の中継地として多くの人々が訪れていました。

周辺国にとって非常に重要な場所だったことから、戦略的価値も高く見られ侵略が繰り返された土地でもありました。

1747年に誕生したドゥッラーニー帝国が、近代アフガニスタンの起源です。

19世紀後半にはロシアの南下政策とイギリスの植民地化の影響を大きく受けることとなります。

アジアに勢力を伸ばしたいロシアとインドを自国領としたイギリスの争いに巻き込まれ、イギリスとは2度の戦争を行いました。

険しい地形によりイギリス軍は敗戦したものの、ロシアの影響力を抑止するためにイギリスに外交権を渡し保護下に置かれることになります。

1880年にモンゴロイド系でシーア派のハザラ民族を征服するなどして、国家に統一を試みました。

しかしハザラ民族の社会的地位が低くなり貧困化が深刻になっただけでした。

1893年にはイギリスの圧力によりデュランドラインという国境を決め、これが現在のパキスタンとの国境になっています。

この国境ではパシュトゥーン民族の居住地を隔ててしまうため、パシュトゥニスタン問題として今でもアフガニスタンとパキスタンの問題です。

イギリスから独立したのは1919年のことで、国内のナショナリズムの高まりにより3度目の戦争にまで発展していました。

国家を独立へと導いたアマヌッラー国王は、女性の地位向上を目指して教育改革を行うなど西洋化を進めます。

イスラーム保守層は急激な近代化に反対し、タジク人のハビブッラー・カラコニが政権を樹立します。

タジク人が政権を握るのは初めてのことでしたが、1929年にはパシュトゥーン民族が奪還しました。

1933年に国王が暗殺されると息子のザーヒル・シャーが跡を継ぎ、その後の40年間は中立路線を目指します。

 

2,共和国から民主共和国へ

第二次世界大戦では国連軍との関係を維持しつつも、枢軸国にも配慮しました。

戦後はソ連とアメリカと上手く駆け引きを行い、1950年~1960年にかけてはサラン峠トンネルやヘルマンド渓谷開発計画など多くの援助を受けました。

国王の従兄弟であるムハンマド・ダウード・ハーンは近代化に積極的でしたが、パシュトゥニスタン問題ではパキスタンとの関係を悪化させます。

その後も近代国家への政策を続きましたが、1965年には社会主義を目指す人々も多く現れるようになりました。

1973年にクーデターが勃発し、王政の廃止と共にアフガニスタン共和国が誕生します。

大統領のダウードはソ連とアメリカの両国に配慮しましたが、共和国誕生の手助けを行ったアフガン人民民主党を排除しようとしたため1978年に社会主義革命が起こります。

これにより大統領一家が暗殺され、アフガニスタン民主共和国が新たに誕生しました。

アフガン人民民主党の勝利といえますが、内部抗争や社会主義による改革はイスラーム保守層から強い反発を受けます。

混乱に乗じたクーデターで新しい大統領アミンが就任し、強い権力を駆使した国家運営や自身の保身などから1979年にソ連が侵攻します。

この時にアミンは殺害されカルマルが後継者となります。

ソ連が撤退するとカルマルは権力を失い始め、1992年にムジャヒディン各派が連立政権を樹立しました。

 

3,反政府勢力が衰退していないアフガニスタン

ムジャヒディンとはイスラーム教徒を異教徒から守るイスラーム戦士で、ソ連侵攻時にはパキスタン経由でアメリカの支援を受けていました。

各派は民族が異なるので政治的思惑にも違いがあり、内戦に発展し数百万人もの難民を発生させてしまいました。

ムジャヒディン各派に不満を抱いた国民たちの希望となっていたのが、1994年から力をつけ始めたターリバーンです。

最も保守的な層でありながらパキスタンの影響も受けていました。

しかし彼らは政治的な手腕を振るうことができず、9.11など国際的に孤立することになります。

アメリカとイギリスが報復攻撃を行ったのも、孤立したターリバーン政権によるものです。

2001年には軍事的に壊滅した政権を受けて、戦後復興に取り組むためのボン合意が発表されました。

ターリバーン政権に抵抗していたムジャヒディン各派の代表が中心となり復興までのプロセス、いわゆるボン・プロセスが作られました。

プロセス通りに復興が進められ日本ユニセフなど国際的な援助も受けていましたが、ターリバーンをはじめとした反政府勢力は武装によって抵抗を続けています。

世界各国で治安を維持するための取り組みを行っていても、反政府勢力は根絶していません。

市民を巻き込んだ紛争により難民は増え続け、子どもや女性といった弱い立場の人々がまともな教育を受けられない状況です。

国際会議では継続的な支援を決定していますが、アフガニスタンの復興にはまだたくさんの時間がかかると考えられています。

最終更新日 2025年5月15日 by ewbcjp